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2007年5月16日 (水)

名医は床に捨てる

下腹部の痛みがあり、医者に行った。
3年前に尿管結石を患ったが排出できていたので安心してたが
痛さが似てたのでまたか、と思ってウロカルンでも処方してもらおうと
行ったのだ。

診てもらったのは近所の内科医。ただの町医者。
70くらいのじいさんが一人でやっている。

まず尿を取り検査してもらうが問題ない。
血液も調べたが、

「きれいきれい」。

なんだろう。

「寝冷えかなんかだったんじゃあないの?」

結局

「石はないよ。安心していい」

ということでおさまった。
処方してもらった漢方の「猪苓湯(ちょれいとう)」
を飲んでいたら1~2日で痛みも無くなってしまった。

いやはや、助かった。。。

この医者には一昨年内耳障害を患った時も世話になった。
その時は1ヶ月超、右耳が聴こえないままだったので、
通院している三茶の耳鼻科を不審に思ってこの内科医を訪れたのだった。

「ナニ!
 一ヶ月も聴こえてないの?
 んで、その医者、なんだって言ってるの!?」

そのお~、薬を処方してもらって、それを飲み続けているだけ
なんですけどぉ~

「んなバカなハナシはない!
 一ヶ月も聴こえないって、ありえない。
 T医大を紹介するから。
 すぐ行きなさい。
 電話しといてあげるから!」

紹介してもらったT医大に行くとこりゃ大変とばかり
すんごい強い薬を大量に処方してくれ、1~2週間で治った。
あのまま三茶の医者に通いつめたままだったらどうだろう
きっと治らなかっただろうな。今も後遺症か患った耳の聴力は正常な左の
95%くらい。ほんのちょっと、正常値より落ちている気がしないでもない。

ま、いいとして、近所のその内科医のこと。
今回通っておや、と思った。
ゴミをポイポイ歩きながら捨てるのだ。

「あ~、んじゃあ、
 血ぃ~、採るから。
 腕、まくってよ」

と言いながら奥の部屋から注射(使い捨ての)を持ってきたが、
袋を開け、注射を出すとそのいらなくなった袋や
注射針を覆っていたカバーなどを歩きながらポイポイと
診察室内に捨てる。
もちろんゴミ箱はあるし、診察室内、床もとてもきれい。
しかしその医者はゴミ箱へ捨てようとしない。ガンとして
そこらのきれいな床へホイホイ落とす。

「どうして床に捨てるんですか」

そんなこと聞けるわけがない。
考えた。

まず患者、なのだ。
ゴミは後から捨てればよい、閉院になった後とか、患者が途切れた時とか。
今は目の前に患者がいるのだ。困って、痛みをもって来た患者だ、
だからまず患者を診ること、それが何よりも先決なのだ。

先に話した、その内科医に紹介してもらったT医大のセンセ。
確かあの人もポイポイ捨ててた。2年前のことだが今回のポイポイで
思い出した。
なんか、平成版赤ひげに診られたようで、ちょっとうれしい気が
しましたね。まあ、それは自分の身体に何も問題なかったことも
あったからでしょうか。

2007年2月16日 (金)

味楽そば

昼食った牛肉角切り入りソバはまずかったなあ。
中華だったんだけど塩っけが強くて。完食できなかった。
おまけに牛肉もスジが多くて噛んだ感じが悪いんだな。臭いも強くて
最悪。。。うげっ。。。

完食できないと言えばこの前かみさんと長男連れて行った
家近くのラーメン屋もメッチャまずかった。
これも完食できなかった。
そこはいつも行列があったしきっとクセになるんだろうと
期待を持って行ったのだが、一口食っただけで

「二度と来ねえ!」。

店が汚いのは譲るとして、醤油系だけどチャーシューがやたらでかくて
スープが甘い。甘さはたぶんでかいチャーシューの煮汁が
そのままスープに入り込んでる影響と思われる。
太い麺も良く言えばコシがある、悪く言えば硬いだけ。
スープはおまけに熱くなく器も汚れたままだったし
近年稀に見る最悪さでした。四分の一しか食せなかった妻は
家で戻し、風邪を併発した。
長男はおもらしをした。

私が完食できないラーメンって、年に一度あるかないか、ですね。
なのにここで一気に二食、食えないのが出た。ざけんな。
こんどは厨房の人にあんた食べてみてくださいって言おうかな。
 
 
最後の晩餐に何を選ぶと聞かれたらなんと答えますか。
私は妻のメシですね、を選びます。美味いですしね、
妻も読んでるんで、そう書いときます。

だけど、もうどうにもなんないんだけど、できるのであれば
また食いたいってのはあって、もし食わしてくれるのであれば
それにします。

それは、もう無いんだけど、実家の向かいにあった
中華ソバ屋のラーメンです。主人が他界しちゃったんですね。
もうかれこれ10年になりますか。だからもう食えないんです。
私を幼少期からかわいがってくれたオヤジで
その人が作るその店のオリジナルラーメン
「味楽そば」

「味噌ラーメン」
がどこの何よりも美味かった。
高校時代からクセになって、社会人になっても
週末にこれを食べるのがやったら楽しみだった。
接点は土曜しかないんですね。日曜休みだし平日は学校だし
会社だったりだから食えない。
だから土曜は楽しみで昼はでかけないようにしてました。

だれか作ってくれないかなああの味楽そばと味噌ラーメン。
味楽そばは醤油ラーメンの上にラードたっぷり使った野菜炒めが
どさぁ~っと乗ったやつ。味噌ラーメンも炒めた野菜がてんこ盛りに
乗ってました。

ラードをたっぷり使った不健康極まりないラーメンだったことは
間違いなくて、血圧がだいぶ上がりました。
入社後の健康診断で

「この若さでこれはないでしょう」

と言われたのを覚えてます。下が100近かったかな。以降
ずっとそうでしたね。
主人が死んで食えなくなって血圧は下がりました。
親父が死ななかったら私が死んでたかも、ですね。

2006年10月17日 (火)

今日は母の命日だ。

斉藤氏のブログに久々に訪れたらプロフィールに
「世田谷区立弦巻小学校6年3組卒」
と追記されていて、今朝見て思わず噴き出してしまった。

氏は私の小学校6年の時の同級生だ。
なんだか無性にこの斉藤氏に会いたくなって
(他の面々とももちろんだが)、昨年同窓会を開いた次第。
会ったのはもちろん20数年ぶりだった。

氏を捕まえるのは実は結構苦労して、ご実家を訪ねたら
家が無く、家屋新築中の工事現場と化していた。
んでその工事看板から建設会社を経由してご実家の
方と連絡をとり、そこから氏の携帯を教えてもらったのだ。

笑えたのがいきなり彼の携帯に電話して

「俺だよ俺、
 たかぴーだよ!」(実際は苗字を名乗った)

と言うと、きょとんとしたレス。

「あの、たかぴーさんって、、、
 どちらのたかぴーさんでしょうか」

確かにいきなり苗字だけを言われてもピンと来ないだろう、
私がバカだ。

「俺だよ俺。
 弦小の6年3組の時の。
 俺だよ。
 たかぴーだよ」

と付け加えると、それだけで充分だった。
次のレスはおーおーおーおーおーおおー、久しぶり!なんだよなんだよ!
と変わり、よく分ったなあ、この番号(携帯)と感心された。

斉藤氏は勉強がよくできてお受験組みだったので
中学からは別れてしまった。私は公立へそのまま進んだので。

氏の思い出はいろいろある。小6年の時のクラス担任がとてもいやな
先生だったのだが、彼も多分に漏れずその先生とそりが合わず
事ある毎にもめていた。
ある日、チョークで黒板にいたずら書きをして遊んでいると
激怒された。

 何をしてるんだ!
 勝手にチョークを使って遊ぶんではない!
 これは学校のもの!
 いたずら書きなんかに使うもんじゃあ、ない!

女性の教師だったが当時50過ぎくらいだったろうか、
ヒステリックでとにかく厳しいったりゃありゃしなかった。
しかし斉藤氏、怯まない。

「学校のものったって、
 税金で賄われているものじゃあないか。
 でもダメだっていうんだったら、
 じゃあ自分でチョーク持ってきて書こう。
 んなら文句無いだろう」

翌日、本当に氏はマイチョークを持ってきた。
そしてそれでいたずら書きをして遊んだ。
先生はそのことでは何も言わなくなったが、叱られることは他のことで
ずっと続くのであった(笑)。
 
 
そんな斉藤氏のブログ。拝見していて少々驚いたことがあった。
お母様が少し前に他界されたようだが、その折のこと。
危篤となったお母様、開いた口から管をテープで固定され、
心臓マッサージにてかろうじて生きているという状態だったそうだが、
それを見た斉藤氏、あまりに可哀想だったので
心臓マッサージをやめるよう医師に依頼したのだそうだ。
「あまりにみじめ」と思ったそうで
お母様はそのまま息をひきとられたそうだ。

同様のこと、私も経験をしている。
97年4月のある夜、危篤の知らせで車で妻と
母の入院先の病院へ急行した。
ベッドの上で手足を大きくもがき、やはり口に管を通され
目を大きく見開く母がいた。
専任の医師が心臓マッサージを続けていた。汗だくだった。
何人かの看護婦さんが一生懸命やはり汗だくになって
母の両手両足を押さえようとしていた。
私はその時叫んでしまった。

「がんばって!おかあさん!」

一縷の望みでもと思った。正に悲痛な叫びだったのかもしれない。

「俺だ、俺だよ!おかあさん!
 だあきだ、だあきが来たんだよ!
 だから!
 がんばって!
 がんばってよ!」

忘れもしないそのもがき喘ぐ母、首を少しこちらへ向けると
その黒目がほんの少し、私をとらえたのであった。
もちろんそれは偶然のことと思う。
しかしこの場を凌いだとしても実は医師から

「余命、長くて半年」

と宣告されていたので、蘇生したとして先は見えていたのだ。
斉藤氏曰くお母様の心臓マッサージを止めてもらったことを
「臆する決断」だったと仰ってるが、
その通りだろう。
私は先が見えていたのにもかかわらずその「決断」を
思い浮かべることすらできなかったのだから。

母は他界前、確か9月だったと思うが
入院先の病床でこう私に言ったことを覚えている。

「テープを、テープを切って・・・」

私には何のことかすぐ分った。が、あえて聞きなおした。

「テープ、なんて、、、
 なんだい、、、
 なんの、テープだい?」

よく聞き取れない声で母は言った。

「延命の、テープよ。
 テープを、切って。
 お願い」

その時の母の延命措置を止めるのは簡単なことだった。
心臓に入れられたペースメーカーを切ればそれで済むことだった。
母の心臓はもうペースメーカー無しに正常に稼動を続けることは
できないからだった。

その時は特に意識していなかったが、のち思い返して驚いていたのが
医療費の問題だ。ばかにできない、母の3月に入院してから
その時までにかかった費用は軽く1千万円を越えていた。

翌10月、親族の方に集まって頂きたいと、専任の医師から
話があった。
行くと専任の医師とその上司であるという高齢の医師と
数人の看護婦さんがいた。

  延命の措置は、もう止めましょう。。。

そう高齢の医師から話があった。

  回復へ向かうことはありえません。。。

姉は泣き崩れた。
私も涙が止まらなかった。分ってはいても、ほんの、0コンマ何パーセントかでも
母が元通りの母に戻ってくれる、そんなありえもしない望みを
捨てきれなかったからかもしれない。

他界するその日、仕事の合間をぬって私は日赤に足を運んだ。

  今日はかなり悪い。

母の調子を医師からそう聞いた。
しかし私は打ち合わせに戻らないといけない。

「今、ね、仕事中なんだ。
 これから、大事な打ち合わせがあるんだ。
 だから、打ち合わせが終わったら、また来る。
 また来るから、ね。
 だから、また会おう、ね」

そう母の手を握って言い、病室を後にした。
母が私の言葉を目を見て聞いてくれた、それが最後だった。
浜松町の清水建設本社で打合せを終え、病院に再び足を
運んだのは夜7時を過ぎていた。
医師から言われた。

  今夜は、やまかもしれません。

その夜、母は静かに、息をひきとった。

延命についての医療問題。実に難しい問題である。
そこに万事共通の解決策などない。本人、そして肉親、愛する人が
その時どう対処をお願いするか、だ。
今日は母の命日だ。感慨深く斉藤氏のブログを拝見した次第である。

2006年8月23日 (水)

飛蚊症

先般富岡に行った時のゴルフのメンバーだが、
私を含む4名について、共通していたこと。
それは全員が眼鏡をしていない、しかも皆裸眼だったことだ。

今どき裸眼の人って、あまりいないでしょう。
考えたら私の妻も裸眼だし、この間行った西丹沢バンガローも
全員眼鏡ない。ひょっとしてみんな裸眼だった?

すんごいことですよねえ。

会社員だったころ、裸眼の人っていなかったですよほとんど。
私と遠目を競ってたコバ部長くらいかな。あ、あとよく
銀座連れ回してくれたHM部長。ともに10才上。

しかし実は私は目が良すぎて、本当は良いわけではない。
良すぎるっていうのは、いわゆる「遠視」なのだ。
ケンコー診断なんかだと最後の文字までくっきり見えちゃう。
測れないんですよね。1.5で打ち止め。

何年前だろ、13~14年前かなあ、
飛蚊症って、知ってます?
ヒブンショウ、って読むんだけど、これが出始めて、
眼医者に行って、正確な視力測ったら
3.0って言われた(笑)。

飛蚊症っていうのは、その名の如く、蚊みたいなのが
飛んでるようなのが見えてしまう症状のことを言う。
私の場合、常に見えるわけではなくて、白い明るいところが背景に
広がってる時、よ~く見える。
だからスキーなんか白銀の世界だと、チラチラとその蚊
みたいなのが何匹か泳いでるように見えるわけ。

その頃、ヒマさえあればスキーばっかり
行っていて、いつもブヨブヨ飛んでたから嫌で嫌で
目医者に行きました。
場所は赤坂で、外堀通り沿い、忘れもしないホテルニュージャパンの真ん前でした。
焼けた後だったけど。

仕事中にぽっかり時間が空いたんで飛び込みで入った眼科、
きったねー雑居ビルだった。
が、その医者、偶然にも飛蚊症について多くの文献を出されているセンセだった。
かなりトシ。ヨボヨボだった。

症状について細かく話した、
1年くらい前から出始めたということと、
大病は患ってないということ、などなど。
したら視力を測りましょう、と、その時測った私の視力
なんと3.0だったのだ。

「あんたのね、飛蚊症はね、治らんよ。
 っていうかね。
 あんたは、目が良過ぎる。
 過ぎたるは及ばざるが、って言って、、、
 知っとるか?」

「(知っとるわい、バータレ)ええ、、、
 過ぎたるは及ばざるが如し、ですよね」

「そうじゃ、そうそう、
 じゃから、

 ぶおっふぉん!ヴおっふぉぉぉおおおーーん!
 
 んがぁぁぁぁあああああ~ べべべべっ!!!
 (大量のタンを放出中)」

「大丈夫ですか?」

「ええ~い! ちきしょうめ!
 大丈夫じゃい!
 んじゃから、
 そのお~
 なんじゃ、
 あんたは、ね。
 目が良いと思ったらそれは間違いじゃ。
 遠くのものをみるのは、良い。
 じゃけれど、近くのものを見ている時、
 実は神経を使っているんじゃ。
 それが証拠に、この眼鏡、試しにかけてごらん」

ガサゴソと汚い机の引き出しからいくつかの眼鏡を出した。
うち一つをかけて、見る。

「ああ~っ。。。
 きれいに、見えますねえ。
 なんか、きれいです。
 んで、近くのものが、見易いです、と特に」

「じゃろおぉ~~っ」

いきなり腕を組みふんぞり返るジジ医。
ところがふんぞり返りすぎてイスから転げ落ちた。

ンガラバキィーッ、ドコ!

「アイタタタタタ!」

「だいじょうぶですか!
 (手を貸すたかぴー)」

「うるさい!
 だいじょうぶじゃい!
 (たかぴーの手をはねのけるジジ医)
 そうじゃろぉっ。
 アタタタ。
 (腰をおさえ立ち上がるジジ医)

 じゃから、あんたは、ホントは、
 眼鏡をしたほうが、ええんじゃよ」

「はあ、、、」

「じゃからな、
 その疲れが、飛蚊症になって、出てるんじゃよ、
 わしゃ、そう思う。
 あんた、仕事してて、頭痛とか、吐き気とか、ないの?」
 
「ないです」

「じゃろおお~~~っ。
 じゃからじゃよ。
 フツウそんだけの遠視だと、仕事してると
 疲れが出るんじゃ。
 んじゃから、出ない分、あんたは飛蚊症になっちょるのよ。
 ん。
 詳しくはワシの本、読みなさい。飛蚊症のこと
 書いちょるから。
 これ、コピー。
 あげるよ」

他でもいろいろ調べましたが私のは悪性のではなさそうです。
だから、あまり気にしてません。 

えーと、文中には一部フィクションが含まれます。
  

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2006年8月 8日 (火)

病は気からか。

自然治癒率が低下している。
病気や怪我、当たり前のように薬に頼ってしまう。
直近だとプールで目が痛くなって目薬にお世話になった。

風邪なんかも、ひいたかな、と思ったらすぐ薬を飲んでしまう。
キズができれば絆創膏。深い傷には軟膏を塗ってしまうし
腹が痛むと正露丸。ファイト一発にはリポビダンDだ。

昔の人はどうだっただろう。例えば江戸時代にはこれらの薬、
何もなかったはずだ。
頭が痛ければひくまで待つしかないし、
虫歯は深くなれば抜くしかないだろう。
歯がなくなるとこんどは胃に影響する。

やっぱ昔の人は延命しないわなあ。
前も書いたが、江戸時代の平均寿命は30歳そこそこだという。
住民台帳の整備がはじまったので統計があるんだそうだ。
40を越してる私なんぞ、とっくのとうに他界してそうだな。

会社入って2~3年目にやった脱腸、痛かったなあ。
炎症起こしてたから、あれで1回死んでる。25だった。

3年ほど前にレバーがあたって腸炎になった。
40度の熱が2~3日続いて緊急入院した。あれでも死んだ。2回目。41か。

一昨年は結石に悩まされてえらい思いをした。これは
死ななかったかもしれないが痛さ辛さでは優勝格だった。

痛い優勝格でいくと極めつけは昨年患った内耳障害、
これは絶対死んでたな。42だ。

ということで私はもう3度も死んでる。
情けない。
現代医療の助けが無かったら太刀打ちできなかったわけだな。

「病は気から」ともいうが上記のそれらはいくら「気」があっても
無理。どうしようもなかった。

だってそうでしょう脱腸は気合じゃ防げない、あれはバイクの乗りすぎから
きたものだった。
同じようにバイクに乗りすぎてたけど無病だったタカネ君は
私の脱腸をバカにした。

「ふん。バイクの乗りすぎじゃあ、脱腸なんかにならないよね」

ところがなんの、彼は翌年痔ろう(痔を悪化させた最悪のビョーキ)
を患い地獄を見る。
大学病院に入院して肛門の手術を受けることになった。痛くて痛くて
座るどころか歩くことすらできなくなったからだ。

手術前夜だ。問診があってパンツを脱がされ腹ばいになるよう
言われた。その通りにし、お尻を高く上げなさいもっともっと高くと言われ

「これくらいでいいでしょうか」

と振り返ったらそこに5人くらいのインターンが
タカネ君の患部、つまりコーモンをスケッチしていたというから驚く。
ウラチンももちろんスケッチされた。
目当てにしてたかわい子ちゃんもいたというから
これを地獄と言わず何を地獄というのだ。

話は変わるが先日、近所のオヤジが他界した。今日は通夜だ。
80だったそうだが、うちの父とは40年来の付き合いがあった。
奥さんにはだいぶ前に先立たれていて、
寂しい、面白くない、
人生、そんな、長生きしてもしょうがない、
俺はもう、いつ死んでもいいんだ、
いや、そうじゃあない俺はもう、早く死にたいんだ、
死にたい死にたい死にたい、ホントに死にたい
と、ここ数年は事ある毎にそう悲観的なことをこぼしていた。
その度にうちの父から怒鳴り叱られていた。バカばっか言ってんじゃあない、と。

死因は肺炎だったようだが、腎臓が悪くここ5年以上ずっと
食事療法を強いられていたようだった。
んで先々週もウチに来て、
俺はもうホント長くない。来週入院だ。いろいろ世話になった
と言いにきて、ホントに死んでしまったのだ。

はり合いというものがなかったようだ。ここ数年、何もミッションらしき
ミッションがなかった。年金暮らしだったし持ってた店も
息子に委ねていたし。
しいて言うなら9年前、うちの母の葬儀の時
そのオヤジに番頭(現金出納係)を務めてもらったのだが、
その時は生き生きと業務を全うしてくれた。テキパキと
いい仕事をしていた。あの時のおじさん、70そこそこだったろうが
10は若く見えた。

病は気からとはよく言ったものだ。モチベーションを保っていると
顔にもハリが出てくるものだ。

私は遊んでばっかだからいろんな病気にかかるのだろうか。
考えたら遊びに起因してるのが多い。

脱腸> バイクの乗りすぎ。
腸炎> 飲んだ時食べたレバーがあたった。
結石> ビール飲みすぎと運動不足。

とはいえ、友人が昨年の年賀状で一行、

「成人病に気をつけろ!」

と書いてくれてたっけ。
ま、これを読んでるみなさんもいろいろ気をつけていきましょう。

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2006年6月22日 (木)

活字中毒者の耳

椎名誠氏に「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」
という作品(エッセイ?)があった。
氏は曰く中毒に近いくらいの活字好きで
常に何かを読んでいるかもしくは書きものをしていないと
中毒症状が表れる、というのだ。

私も一時期は近いものがあったが、最近はあまり読めない。
今月になって、はじめての三島文学を辛い思いで読み終わり、
そんなはずはとまた「金閣寺」を買ってしまった。
聞くと先に読んだ「青の時代」は三島本人曰く駄作の部類だそうで、
はずれをひいてしまったのかなと思いなおしたわけだ。
ともあれ、読むのも好きだが、こうしてブログしているということは
やはり書くことも好きなのだ。
書き込んでいないと、頭の中で文章を組み立てはじめている
自分がいることが、最近ままある。
文章を書くことは、下手なパズルや、流行のDSの頭のトレーニング
なるものをするより、遥かに脳内活性化に役立っているのではないだろうか
とも思うが、最近ボケボケ状態が多いからそうでもないかもしれない。

去年患った右耳の内耳障害だが、聴力はほぼ戻った(左耳の99%くらい)
のだが、ある障害がまだ残っている。
「障害」という言い方が当てはまるかどうかわからないが、
微妙な気圧の変化で、右耳内にちょっとした異変が起きるのだ。

飛行機に乗ったりエレベーターで高いところに急に上がると
耳が痛くなる時があるが、あれの軽微なもの、
(しかもかなりという表現付き)が、日常生活で起きているのだ。
耳の中、鼓膜の辺りに力を入れるようにすると、
「ブツ、ブツ」
と、鼓膜が蘇生されるような、はちきれるような、なんとも
表現しづらいのだが、へんな音が、する。

その音は、普段はしない。上述のように
気圧の軽微な変化に相応してするから、例えば天候。
天候の変化は気圧にも影響されているから、
気圧が下がってくると、つまり天気が悪くなってくると、
内耳にも妙な感覚が出てきて、力を入れると
「ブツ、ブツ」
という。
だから今雨が降ってなくても、5時間、10時間後に降る場合、
そういった時も、ブツブツいう。
降っているが、音がしなくなる場合も、ある。
そういう時は、数時間後に必ず雨は上がる。好天に向かうのだ。

ほんとぉ~?と思うだろう、信じる信じないは勝手だが、
ちなみに今、このブログ中の天気は曇り、雨は降っていない。朝は軽く降っていた。
昨夜は割とよく降った方だった。
だから昨夜はブツブツと音がしていた。
今朝はしなかった。
だが、今、またしてきている。よって5~10時間後
つまり6月22日(木)22時~翌日の3時くらいに、
雨が降り出す、ということだ。
当たると思いますか?ヘタな気象予報士のより当たりますよ(笑)。
楽しみですね。
そうそう、3時半からのようです、ブラジル戦。
起きて楽しみにしててください。

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