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2017年12月27日 (水)

周五郎「薊」に驚き

世の中は艱難の待合室であり、人間は胎内より業苦を負って生まれる
という、されば人生は風説を冒して剣難悪路を往くが如く、二十四時
寸刻の油断もならぬ酷薄苛烈なものである。
(評釈堪忍記から引用)

こんなことをさらりと書ける周五郎、やっぱすごいわあ。
ここのとこずっと新手のミステリー系に入り込んでて、でもどれもこれも
面白くもなんともなく、ココロに引っかかるものも皆無。で、周五郎
「松風の門」を開いた。
思わずあっと言ってしまったのが一編の「薊」。
最近のミステリーの多くは、どんでん返しもの、つじつま合わせ、こじつけ
ととれるものが多く、終盤に無理がある。
周五郎作品にはどんでん返しものはそう多くなく、薊も期待皆無で
読み進めていましたが、ラストで驚かされました。
周五郎の文庫は、納戸の書庫にずら~っと並べています。
左端からつまんでく。読み終えたのは右端へ。40冊くらいありますから、
1サイクル5年以上はかかってるかと思います。
松風の門には「湯治」が入っていて、これはおたふく三部作の
一編。今回、最後の解説を読んでおやと思ったのが、湯治は3話目だと。
いやいや、締めは「おたふく」なわけで、ミスプリかと思ったら、
そうじゃなかった。
周五郎はおたふくを初めに書いて、その前の話が書きたくなったんだそうだ。
ストーリー上の順番は
妹の縁談→湯治→おたふく
です。が、書いた順は
「おたふく」昭和24年、
「妹の縁談」昭和25年 、
「湯治」昭和26年
だそうだ。私、おたふくは大好きです。

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