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2011年7月 6日 (水)

周五郎作品

山本周五郎の作品に浸かってしまうと他の多くは甘ったるく
感じてしかたがない。少なくとも池波とか藤沢とかが全く読めなくなって
しまう。

先ほど花杖記を読み終えました。素晴らしい。やっぱりビールは
発泡酒じゃだめだスーパードライしか口にせん、と決意したくなる
ような、なんかそんな感じであります。

戦前から戦後にかけての多くの作品が残されていますが、
「戦前のは全て焼き払って欲しい」と本人おっしゃってたようであっても、
私にはどちらも素敵です。
今回の花杖記は戦後のものですが、洗練された素晴らしい作品ですね。

他界した叔父が生前のころ入院した折、見舞いに行くのに
近くの本屋で買った周五郎の「ひとごろし」を持ってった。
叔父からはだあきよお、本は若いうちいっぱい読んどけよなあ、
とよく言われていたので
周五郎はもう読んでらっしゃるでしょうが、と言いながら渡したが、
いやいや実はあまり読んでないんだよ、と。少々ニタつきながら
「楽しみに読ませてもらうよ」
と言ってくれた。

私はこの中にある短編
「女は同じ物語」

「しゅるしゅる」
なんかが特に好きで、たぶんそれぞれ10回は読んでいる。叔父が退院
した折そのことも話して、どうでしたかと聞くと
こんなくだけたの書ける人だったのか、と少し驚いていた。樅の木は残った
なんかの印象が強かったのかもしれない。

私が周五郎を読むようになったのには妙なきっかけがあります。
サラリーマン時代のこと、たぶん1990年頃、トシは30位でした。
電車で座ってるとちょっと臭い、なんか匂ったんですね。隣見ると、
風体の汚い、みすぼらしい男性がいたのでああこの人か、と思いましたが、
その人は黄ばんだ本を読んでおり、文庫本でしたけど、開いていた上部の
片側に
「ひとごろし」
もう片方の上部に
「しゅるしゅる」
とありました。
妙な題の作品もあるものだ、と思ってたところ、スキーに行った先の宿
にあった文庫本にひとごろし、というのがありました。
おや、と思って開いてみると、その中の一編にしゅるしゅるが
あったのです。
これだったのか、と帰ってから買って読みましたらそれではまって
しまったのです。

周五郎作品からはサラリーマン(営業)時代いろいろ勉強になり
身につまされることも多かったのですが、お客のと「間合い」なんかで
特にためになったのが「ならぬ堪忍」にある

津山の鬼吹雪

でしょうか。

若き日の摂津守
紅梅月毛
備前名弓伝

なども痛快で楽しい。また、涙なくして読めない作品も多くあります。
先にも書きましたが「辛口」なんですね。甘さ、不純物といった
ものがきれいに排除されています。
昨日からまた読み始めたのは「一人ならじ」です。

そうそう先般読んでいた花杖記、これには戦後の作品が多く残されて
います。ですがうち一篇「須磨寺附近」。恋愛もので、
少し武者小路実篤の「友情」が入っていなくもない
この作品は戦前もので、なんと周五郎23~24の時
書きあげたものなんですね。
すごい。
私はもし人生を10度やり直せたとして、うち一回が作家を目指すような
ことがあったとしても、周五郎を抜くことができるの、それは10度じゃあ
ききませんね。1,000回くらいやり直さないとだめでしょうね。
いや1,000回でもきかないかな??そう思います。
天才っているんですね。

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