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2006年10月31日 (火)

託児所

勤務地近くに託児所ができた。
多くの親御さんがお子さんを連れて預けに来ている。
私の出社時に合っているので多く見かけるのだが、
大体の子は乳母車で泣き叫んでいる。
だからその時間帯は子供の叫びで少々うるさいくらいだ。
かわいそうだなあとも思う。唯一頼れる親と離れ離れになるのだもんな
そりゃあ悲しいだろう。
でも慣れれば所内でもそれなりに楽しみやなんかを
見つけて過ごせるようになるんだろう。

うちの子なんか、預けるとなったらどんな発狂をするか、
想像がつかない。がしかし、長男(5才)がまだ2才の時、
お台場でだったが一時託児所に預けたことがある。
たまには我々夫婦もゆっくりする権利はある、
妻と二人水入らずで食事でもさせてもらおうと預けたのだ。
確か2時間くらいだったか。

おもちゃとか遊ぶものがいっぱいあるし、保母さんも
若いきれいな方ばかりだったから、預けっぱなは
長男、すんなり溶け込んでいった。っていうか喜び飛び込んで行った。

ただ、そこから我々がいなくなるということは、
彼には分っていなかった。

2時間後迎えに行くと、ガラス越しに我々を見つけた瞬間、
長男の形相が変わった。で、
おもちゃを放り投げて我々の元にすっ飛んで来た。

その時の長男の表情と、我々に駆け寄ってきたあの走りの
凄まじさは忘れることができない。
彼なりに、ママパパはどこへ行ったのだろう戻ってきてくれるの
だろうか、僕のこと忘れていやしないだろうかと
不安の極致だったろう。だから我々を見つけたときの
彼の表情にはそれら一切が瞬時に払拭されたもの、また、
見つけた以上、もう絶対に離れない、今すぐそこに行くから、
走って行くから、だからそこに居てよね!という、
希望主張願望せつなな悲哀の長男の目が、
3年経った今でも脳裏に焼きついている。

親子愛というもの、多少離れ離れになろうとも、
お互いに愛を感じとっていれば、きっとそれでいいのだろう。
年がら年中一緒にいて愛を全く供与しないでいるよりはるかに。
男と女の仲はそうはいかないかもしれないが、ね。

2006年10月30日 (月)

アクセルラー交換。と次男。

昨日は家族で玉高に行った。
長男の一番のお気に入りアイテム、
ボウケンジャーの「アクセルラー」が壊れてしまったのだ。

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電池を替えてもだめ、いろいろやったが埒が明かず
玉高のおもちゃコーナーに直しにお願いすることにした。

長男は玉高のおもちゃ売り場の大ファンだ。
今流行の(TVで放映されている)グッズが
たくさんあるし、無料お試しコーナーもあって、ことある毎に
タカシマヤ行きたいタカシマヤ行きたいタカシマヤ行きたいタカシマヤ行きたい
と言っていたので、彼にとっては都合のよいことだったのかもな。

持って行ったのは「修理をお願いしたい」ということで
あって、買ったのが玉高だったかどうかは覚えてない。
トイザラスとかで買う機会も多いし。いちいち覚えてられるかんなもん。

いいか、ま、ととりあえずレジにいった。
トシ約55のオバチャンに状況を説明すると、
機械モンとなるとさっぱりわからないようだ。
おもちゃ売り場といってもレジ専任者だな。
分る人間を呼びます、ということで、来た人、おにいちゃんトシ約30。
いつもいるおにいちゃんだ。格好がボウケンジャーになっている。

「電池を替えてみましょう ^^」

「だめだと思いますけど・・・」

新しいのに入れ替えてくれるも、やはりダメ。

「この、電池の入る、マイナスのところ。。。
 ここが錆びてますでしょう。
 だとダメになることが多いですよ」

しかしそこは私は掃除した。だから錆びてない。

「だめですね・・・」

「まだ買って半年くらいなんです。
 だからよかったら、メーカーに送って直してもらうというのは
 できないでしょうか」

「いや、、、
 ちょっと待ってください。
 これはウチに手持ちがあります。
 よかったら、、、
 お取替えしましょうか・・・・
 ほとんど新品です ^^; 」

おお!待ってたその言葉。うれしいじゃあないか。
おもわず頬が緩んだ。
期待していなかったといえば嘘だ。玉高ならきっとそれくらいのこと
してくれるんじゃあないかという、甘い期待。

ありがとうございますありがとうございますと
長男と一緒になって深く深くお礼をいい、新品のアクセルラーを手にして
おもちゃコーナーを後にした。
長男の喜んだこと喜んだこと。
いやあ感謝です。
どうもありがとう、おにいさん。
これからは高島屋で買うことにしよう。
 

  
と、長男の件はいいとして、、、次男(1.5歳)は暴れん坊まっ盛り。
いたずらの応酬で疲れる。たまらん。
そこらじゅうでわけのわからない行動をおこす。
みていて気がかりでしょうがない。っつーか、おちおち目が離せない。
ずーっと注視してないとあかん。
 
オモチャ系でも、ほとんどのものは口に入れちゃうし、
他の子が遊んでようがいまいがおかまいなくオモチャ奪い取るし、
床には寝そべるし、
投げれるものは全部投げるし、
他人の足には勝手に抱きつくし、
エレベーター開けば乗りこんじゃうし、
屋上行って水溜りあれば飲んじゃうし、
レストランのコップは必ず倒すし、
おかずを手で食べてその手で髪をかきむしるし、
人混みの中で踏ん張ってると思えばウンコしてるし、
場所時間を問わず泣き叫んでオッパイを要求するし、
犬(ぬいぐるみ、写真を含む)を見れば
ワンワンワンワンワンワンワンワンワンとずっと叫び続けるし。
愚行の数々、数え上げたらきりがない。

長男がやっと落ち着いて来たと思ったけど、一難去ってまた一難、だな。
 

2006年10月28日 (土)

コニーについて、と、雑感

ラジオの投稿で以前、MIⅢは何の略なのかを考えよー、
というコーナーがあって、笑える回答がいろいろあったのを
ここで書いたが、先日は

「恋は一瞬、カネは一生。
 口は弁護士、ココロは詐欺師」
を信条とするスナックのママの一言を考えよー。

というお題だった。
もうこの問題だけで私は笑えた。
センスいいなあ。
残念だけど問題だけ聞けて、回答が聞けなかったんだな。だから
どんな投稿があったのかわからん。
いやー、聞きたかったなあ。すんげえ聞きたかった。


一昨日の問題。
セーラー服と機関銃で薬師丸ひろこが
「か・い・か・ん」
と言ったが、それを考え直そー、というもの。
「セーラー服と××。
 で、何て言ったか考えよー」
だったな。

たかぴー、すぐ思いついたのが

 セーラー服とビーバップハイスクール。
 「タ・イ・マ・ン」

だった。
だめ?これ。
古いね。

笑えた回答がいくつもあってまた噴き出しちゃったり
したんだけど、一つ覚えてる。

 セーラー服と暴れん坊将軍。
 「せ・い・ば・い」

これ、ツボに入ったんだよね。あ、あのね、
ちゃんと長澤まさみちゃんが暴れん坊将軍の格好で

「せ・い・ば・い」

って言ってるのを想像しないとだめよ。んでないとだめなんだから。
 
 
通勤には車だったり電車だったりだが、要する時間は
出社にはどちらもだいたい1時間。
今日(土曜)はちょっと空いてて45分。
だけど帰路が違う。
車は30分で帰れちゃうが、電車では出社時と同じ1時間を要する。
まあどうってことないのだが、やっぱり車は楽だ。
帰りは車に乗った瞬間に、おおかた家に着いたような気分になっちゃう。
ドア開けてシートに座っただけで深い安堵感に包まれるのだな、不思議だ。

昨日は社用でメルセデスを半日、運転していた。
疲れない。何度も何度も言うが、この車、本当にすばらしい。

首都高三号線下り車線、前が開けたので踏み込んだ。
道は荒れていたがメーターは160をさしていた。
びたぁーっと、地に吸い付くように走ってくれる。
だから揺れはすごい。いやいや揺れというより
振動だな。バンプっぽいところも多々あったがコニーの
アブソーバーはきっちり1回で揺れを収めてくれる。
2度振られることは、絶対に、無い。

ザックスのアブソーバーの時もきっちり1回で収めてくれていたが、
何かが違う。
コニーは下に押さえつけられる力が強く働くようなのだ。
車全体はもとより、運転手も一緒になってぐぐっと
押さえ付けられている感じ。
140を超えるくらいになってくると顕著だ。
理論的に考えると理由は分って、コニーは縮み側が
あまり制御されない。反し伸び側がとても「硬い」ので
高速による風圧で車体が落ちた時、その落ちた車体が
そのままあまり上がらずに下でためていてくれる
わけ。そりゃあええす。ええワケです。

たかぴー号はスプリングがザックスだが、このスプリング、
リヤは不等ピッチになっている。
だから普段の街中ではその柔らかいレートの部分が
よく働いてくれる。だから乗り心地がよい。
C200T(W202)にAMGキットの足を入れている人が
たかぴー号(ザックスPSの時。タイヤは16のDNAデシベル)
を運転して

「柔らかいっすね!」

と驚いてた。
私はその方の車を運転させてもらって、硬いのに驚いた。
特に低速域でコツコツとギャップをよく拾っていたのだ。
まあその人のタイヤは私のより1インチ大きかった(17のボテンザ)から
そのせいもあるのだろうけれど。

AMGのスプリングは不等ピッチは採用していない。
ザックスに話を戻せば、この不等ピッチ、高速域だと
弱レートの部分が沈み込んでくれるので、奥でしっかり
コシが効いた乗り味を出してくれる。
理論的に理想値としている乗り味を、現実的に実現してしまった。

今のところ、この車、この足にベタ惚れである。

2006年10月27日 (金)

自由だ

エン神でやってた。

ばったり会った学生時代の同級生に
「この間の同窓会、なんで来なかったの?」
と聞かれて
「忙しくて行けなかった」
というか
「案内、俺のところに来ていなかった」
というかは
“自由だ~!”
と、ね。(写真はエン神から)

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どうでもいいってこと、どっちを応えようがさしてだれにも
影響しないということだよな。
「自由だ」の中にはそういった許容の意味が含まれている。 

 

報道の中には私達にとってどうでもいいことなのに誇大視されていること
とても多い。
ちょっと前だと冥王星が惑星の仲間から外されたということ。
これは別にニュースにならなくてもいいのに、一時期はどのチャンネルあわせても
そのネタを報じていた。
それこそ「自由だ」。どっちでもいいんだ、んなこたあ。
 
 
君が代を公立校が強制的に歌わすようにしていること。
これも自由。自由というのは歌うか歌わないかということじゃあなくて、
別に学校に強制なんてしなくてもいいんじゃあないの?
っていうより、センセの意固地な主張がまかり通っちゃったって方が
嫌だよね。原告は「画期的な判決となった」なんて
喜んでたけど、アホか。君が代くらい歌いなさい、
生徒は「誰を何を信じればいいの」って不安になっちゃうでしょう。
そんなこと分ってないセンコーが先生やってるってのが
まずおかしいなあ。

  
高速道路。第三レーンは何キロで走ろうが
「自由だ~!」
ってならないかなあ。な~んてね、冗談冗談、これはやめた方がいい。
事故が急増しますよ。
でも第二東名は最高速120~140くらいに設定してるらしいね。
是非140でいってほしいなあ。国交省はイケイケみたいなんだけど
(140の設計で血税はたいて作ったから)、警察から
ストップがかかってるみたいですね。ウィキ情報だけど。

 
ここんとこのニュースだと、世界史受けてないからって
卒業できない、なんて、可哀想すぎるよね。
それこそ「自由だぁ~っ!」って叫びたいだろうね。
昨夜ラジオでは「(実数は)600校を越すだろう」って報じてた。
ちなみに今表明しているのは300に満たないけど。
そうすると全国で5千校くらいしかないから1割以上ってこと。。。?
いいじゃん。カセット(CD?MD?)渡して、
聴くこと!ってすれば。杓子定規みたいに授業70時間も受けなおす
なんて酷すぎますね。じゃあ去年卒した人は卒業剥奪するのかねえ。

 

2006年10月24日 (火)

ナビがブラックアウト

このあいだ飛ばしに飛ばして走りを堪能した時のこと、
一度、ナビがブラックアウトした。
画面が消えてしまったのだ。電源はもちろん入っている。
ケーブルの接触不良かな、くらいに思って、ディスプレイに入る
コネクタの部分をいじっていたのだが、しばらくすると
また画面が立ち上がった。が、それは単に画面が映るようになった
ということではない、電源を再立ち上げした時と同様の
初期画面から始まってしまった。

ありゃ、、、DVDが飛んだ、かな。。。

かなりの高速域だったし、別にナビ無くても家まで帰れる。
特に心配する必要もないな、と思ったが、一応もう一度、

「自宅へ帰る」

をセットしようとした。
ところが、、、
自宅が、無い(笑)。
変わりに

“自宅を登録する”画面へ誘われてしまった。。。

「ありゃ?
 初期化しちゃったのかな?」

とも思ったが、他の履歴や、マークしたところなんかは、ちゃんと
残ってる。
ま、いいけど、と思って、自宅を登録しなおした。

なぜだろうか。。。
あまりの高速域。しかも地を這うような走り。
車高はぺたぺたに落ちている。
ギャップ、バンプがあっても、速度を落とさずにそのままの速度で
通過していた。
コニーのアブソーバー、バンプラバーまで行ってしまってはいないだろうが、
タッチはしていただろう。かなりの揺れの時もあったし
衝撃に近いような時もあった。

ちなみにあの速度域の時、カーステ(CD)はかけていなかった。
かけていれば音飛びで揺れの程度も分ったのだが、
まあ、あの速度域じゃあ、飛んでもしょうがないかな。

2006年10月23日 (月)

チュニジアのビール

勤務地の近くに小さなバーが開店したようだ。
勤務先に挨拶に来た。

「すぐそこにバーを開きました。
 ヨロシク、です」

異国の人らしい。

「チュニジアのビールを出します ^^」

ほほお。チュニジアの、ね。

「これ、よかったら
 飲んでください」

Img10191719087

   

     

缶ビールを2本置いていってくれた。が、
なんだかアヤシイ。
美味いかどうかっつーよりも、
あやしい、ってカンジが先行している缶ビール。
外装も、パッとしないよね地味だし。
ビールってんじゃなくてなんだろ、
ミルクコーヒーとかかな、が入ってそう。

店の方は何度か前を通ったが客の入ってるのを見たことがない。
だいじょぶだろうか。

昨夜、そのビールを飲んでみた。
冷蔵庫で適温に冷やしておいた。

美味かった!
チュニジアのビール、ね。

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カーステ修理、フィルター類掃除

カーステの調子が悪いので直した。
ついでにエアコンダストフィルターとエアクリーナーを掃除した。

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カーステはケンウッドのCDチェンジャーが付いているが
ラジオやカセットは支障なく聴けるのだが、CDを
聴こうとするとたまに
chno
と表示され、機能しないことがある。
ケーブル接触の問題と思い、過去何度か取り出して本体裏の
接続の部分をしっかり止めなおしているが、たまに出てしまう。
今回また取り出してしっかりとめ直した。

写真がピンボケだなあ、こういう時やはり一眼レフが
欲しくなってしまう。

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エアコンダストフィルターはこのW202には優れものがついている。
相当酷い排ガスを吐くトラックの後を走っても、悪臭は
そう車内に入ってこない。とてもフィルタリング機能に優れている
もので気に入っている。反し、目詰まりしやすいというデメリットがある。
詰まるとエアコンの送風量が減るので夏は困るのだ。

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多くの人は買い換えているようだが(4~5千円?)私は掃除機でゴミを
吸って使いまわしている。
前回掃除したのは去年だったと思うが、もうこのようにゴミがいっぱい。

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葉っぱの小さいのやら埃やら小石やらがいっぱい詰まっている。
今回は別段送風量が少ないと思ってやったわけではないが、掃除後は
風量が多くなったことに驚いた。

フィルターの場所は助手席足元の上部。
ぱっと見には分らない。足元にもぐりこんでアタマを上に向けると

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のような長方形お弁当箱の側面みたいなのがある。
これを取り出すのだ。
足元にアタマをこすらなくてはならないので
床は事前に掃除機をかけておく必要がある。

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エアコンのフィルターのついでにエアクリーナー
(エンジンへの混合気の為のクリーナー)
も掃除した。

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先月エアマスセンサーを取り替えた時には口でフーフーと
埃を飛ばすだけの掃除だったが、途中で貧血でぶっ倒れそうになったので
あまり力を入れてできなかった。
今回掃除機で丁寧にフィン一枚一枚の間のゴミを吸ってやったってこと。
慎重にやったつもりだったが、このフィルター、わりとヤワで、
掃除機吸引部の先端一部が引っ掛かって、小さい穴が開いてしまった。
2ミリほどのものだが、そこから小石でも飛んで入ったら大変だ。
テープで止めた。

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エアクリーナー室の下部のゴミも同時に吸い取る。

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先月掃除したばかりだったが、またまたゴミが入り込んでいた。

大変大変、忙しいなあ。こういう内部もきっちり掃除すると
実に気分が良くなる。精神衛生上ヒジョーに良いことだ。
とせわしくやっていたら屋根に

「ボン!」

と大きな音がして何か落ちた。
鳥の糞だ。
見上げると電線にハトがとまっていた。
このやろ。
あわてて拭き取った。

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他は埃が積もったままだから拭いたとこだけきれいだ。
でもこのままでいいやしょうがない。もう朝8時になる。子供達と遊ばなきゃ ^^

2006年10月20日 (金)

長男と世田谷公園

秋晴れの先だっての休日、長男(5才)を連れて
二人で久しぶりに世田谷公園に行った。
車で行ったが、駐車場に空きがなく、やっと停めれたコインパーキングは
だいぶ離れていて歩いて10分くらいのところ。
そしてなんと、停めれたのはいいが長男、車で爆睡体勢。
揺すろうが叩こうが起きやしない。
しょうがない、楽しみにしていた世田谷公園だ、長男を
おんぶして10分の道のりを歩いていった。

公園近くに来ると、さっき満車だった最寄のパーキングに空きが
出ていた。そういうもんだな、と涙を流してずんずん歩く。
公園に着くと、長男、いつの間にか背中で起きていた。

「着いたぞ。
 起きてたんなら言ってくれよ、
 重くて腰がいたい。
 あたたたた」

ところが長男、顔色がすぐれない。

「携帯。
 デカレンジャーの携帯が、無い」

と言う。
家から持って出たらしいその携帯型おもちゃが、無いらしいのだ。
そういえば長男を車から連れ出す時、助手席のカップホルダーに
それらしきものを見た気がする。

「車に忘れたね?
 どうしても、欲しいの?
 それがないと、どうしても、嫌なの?」

「どうしても。
 ぜったい」

「そう、、、
 自動車まで、遠いよ。
 今、10分かかって来たんだけど」

「どうしても。
 取りに行く」

「そう。。。じゃあ、戻るか。
 取りに行きましょう。
 でもパパはもう、おんぶしないよ」

10分どころか20分くらいかけてそのおもちゃを取りに戻った。
んでまた公園へ戻る。
また20分くらいかかった。
さっき一台空いていた駐車場はそのまままだ空いたままだった。
いいのいいの、そういうもんそういうもんと
言い聞かせて長男と公園へ歩く。

公園へ着くや否や、噴水際で一人遊ぶ男の子へ
長男は駆け寄った。

「おい!! 
 なにしてんだ! おい!!」

長男は見ず知らずの子にも何の屈託もなく、半ばケンカ腰とも
思えるようなストレートな話しかけ方で、接していく。

声をかけられた子は幼稚園か小学校に通っているかくらい、
長男の1つか2つ上の子だった。
はじめその子もいきなり声をかけられたから戸惑っていた。
すぐ近くにお父さんらしき人がいたようで、ちらちらと
その方を見て、お父さんが首を縦に振ったからだろう、
長男にも親しく接してくれるようになってきた。

噴水の周りで30分くらい仲良く遊んだだろうか、
さよならさよならじゃあねまたね、また会おうね
と別れの挨拶を交わし、男の子は父親に手を引かれ帰っていった。

父親は40前くらいだろうか、ジーパンにブレザー、革靴といった
アンバランスないでたちで、これまたブレザーには競馬新聞か
夕刊フジか、よくわからんがタブロイド誌の類を
折り畳んで突き刺していた。言い忘れていたがブレザーの下に着ていたのは
白の、下着とも思えるTシャツだった。
きっと近所なのだろう、Tシャツでゴロ寝としけこんでいたのを
お子さんに引っ張り出されたのかあわてて会社に着て行く
ジャケットを羽織ってこれまたサラリーマン靴を
そのままハダシで履いて出てきたという姿がみえみえだった。

とはいえたまの休日、息子を連れてこうして公園へ
来ていること、また生活習慣の一つになっているのかもしれない。
かくいう私もそうなのだし。

思うに私らの子の時、親に連れられて公園に来ている子など
いなかった。私ももちろん、父親が公園に遊びに連れて行ってくれたなど、
まるで記憶に無い。
父親が子供を遊びに連れて行くこと、それは父親の仕事では
なかったのかな。
もとより高度成長期にあった日本、昭和30年代になってやっと
日曜を祝日としたくらいなものらしいし、
「休む」「遊ぶ」ということを私の父は知らない。
遊んだのは実家横の小道での野球のキャッチボールくらいだな。
そうそう、それくらいのものだ。
だけどいいのだ。
そろそろうちの長男もキャチボール、できないかな。
楽しみだな。

2006年10月17日 (火)

今日は母の命日だ。

斉藤氏のブログに久々に訪れたらプロフィールに
「世田谷区立弦巻小学校6年3組卒」
と追記されていて、今朝見て思わず噴き出してしまった。

氏は私の小学校6年の時の同級生だ。
なんだか無性にこの斉藤氏に会いたくなって
(他の面々とももちろんだが)、昨年同窓会を開いた次第。
会ったのはもちろん20数年ぶりだった。

氏を捕まえるのは実は結構苦労して、ご実家を訪ねたら
家が無く、家屋新築中の工事現場と化していた。
んでその工事看板から建設会社を経由してご実家の
方と連絡をとり、そこから氏の携帯を教えてもらったのだ。

笑えたのがいきなり彼の携帯に電話して

「俺だよ俺、
 たかぴーだよ!」(実際は苗字を名乗った)

と言うと、きょとんとしたレス。

「あの、たかぴーさんって、、、
 どちらのたかぴーさんでしょうか」

確かにいきなり苗字だけを言われてもピンと来ないだろう、
私がバカだ。

「俺だよ俺。
 弦小の6年3組の時の。
 俺だよ。
 たかぴーだよ」

と付け加えると、それだけで充分だった。
次のレスはおーおーおーおーおーおおー、久しぶり!なんだよなんだよ!
と変わり、よく分ったなあ、この番号(携帯)と感心された。

斉藤氏は勉強がよくできてお受験組みだったので
中学からは別れてしまった。私は公立へそのまま進んだので。

氏の思い出はいろいろある。小6年の時のクラス担任がとてもいやな
先生だったのだが、彼も多分に漏れずその先生とそりが合わず
事ある毎にもめていた。
ある日、チョークで黒板にいたずら書きをして遊んでいると
激怒された。

 何をしてるんだ!
 勝手にチョークを使って遊ぶんではない!
 これは学校のもの!
 いたずら書きなんかに使うもんじゃあ、ない!

女性の教師だったが当時50過ぎくらいだったろうか、
ヒステリックでとにかく厳しいったりゃありゃしなかった。
しかし斉藤氏、怯まない。

「学校のものったって、
 税金で賄われているものじゃあないか。
 でもダメだっていうんだったら、
 じゃあ自分でチョーク持ってきて書こう。
 んなら文句無いだろう」

翌日、本当に氏はマイチョークを持ってきた。
そしてそれでいたずら書きをして遊んだ。
先生はそのことでは何も言わなくなったが、叱られることは他のことで
ずっと続くのであった(笑)。
 
 
そんな斉藤氏のブログ。拝見していて少々驚いたことがあった。
お母様が少し前に他界されたようだが、その折のこと。
危篤となったお母様、開いた口から管をテープで固定され、
心臓マッサージにてかろうじて生きているという状態だったそうだが、
それを見た斉藤氏、あまりに可哀想だったので
心臓マッサージをやめるよう医師に依頼したのだそうだ。
「あまりにみじめ」と思ったそうで
お母様はそのまま息をひきとられたそうだ。

同様のこと、私も経験をしている。
97年4月のある夜、危篤の知らせで車で妻と
母の入院先の病院へ急行した。
ベッドの上で手足を大きくもがき、やはり口に管を通され
目を大きく見開く母がいた。
専任の医師が心臓マッサージを続けていた。汗だくだった。
何人かの看護婦さんが一生懸命やはり汗だくになって
母の両手両足を押さえようとしていた。
私はその時叫んでしまった。

「がんばって!おかあさん!」

一縷の望みでもと思った。正に悲痛な叫びだったのかもしれない。

「俺だ、俺だよ!おかあさん!
 だあきだ、だあきが来たんだよ!
 だから!
 がんばって!
 がんばってよ!」

忘れもしないそのもがき喘ぐ母、首を少しこちらへ向けると
その黒目がほんの少し、私をとらえたのであった。
もちろんそれは偶然のことと思う。
しかしこの場を凌いだとしても実は医師から

「余命、長くて半年」

と宣告されていたので、蘇生したとして先は見えていたのだ。
斉藤氏曰くお母様の心臓マッサージを止めてもらったことを
「臆する決断」だったと仰ってるが、
その通りだろう。
私は先が見えていたのにもかかわらずその「決断」を
思い浮かべることすらできなかったのだから。

母は他界前、確か9月だったと思うが
入院先の病床でこう私に言ったことを覚えている。

「テープを、テープを切って・・・」

私には何のことかすぐ分った。が、あえて聞きなおした。

「テープ、なんて、、、
 なんだい、、、
 なんの、テープだい?」

よく聞き取れない声で母は言った。

「延命の、テープよ。
 テープを、切って。
 お願い」

その時の母の延命措置を止めるのは簡単なことだった。
心臓に入れられたペースメーカーを切ればそれで済むことだった。
母の心臓はもうペースメーカー無しに正常に稼動を続けることは
できないからだった。

その時は特に意識していなかったが、のち思い返して驚いていたのが
医療費の問題だ。ばかにできない、母の3月に入院してから
その時までにかかった費用は軽く1千万円を越えていた。

翌10月、親族の方に集まって頂きたいと、専任の医師から
話があった。
行くと専任の医師とその上司であるという高齢の医師と
数人の看護婦さんがいた。

  延命の措置は、もう止めましょう。。。

そう高齢の医師から話があった。

  回復へ向かうことはありえません。。。

姉は泣き崩れた。
私も涙が止まらなかった。分ってはいても、ほんの、0コンマ何パーセントかでも
母が元通りの母に戻ってくれる、そんなありえもしない望みを
捨てきれなかったからかもしれない。

他界するその日、仕事の合間をぬって私は日赤に足を運んだ。

  今日はかなり悪い。

母の調子を医師からそう聞いた。
しかし私は打ち合わせに戻らないといけない。

「今、ね、仕事中なんだ。
 これから、大事な打ち合わせがあるんだ。
 だから、打ち合わせが終わったら、また来る。
 また来るから、ね。
 だから、また会おう、ね」

そう母の手を握って言い、病室を後にした。
母が私の言葉を目を見て聞いてくれた、それが最後だった。
浜松町の清水建設本社で打合せを終え、病院に再び足を
運んだのは夜7時を過ぎていた。
医師から言われた。

  今夜は、やまかもしれません。

その夜、母は静かに、息をひきとった。

延命についての医療問題。実に難しい問題である。
そこに万事共通の解決策などない。本人、そして肉親、愛する人が
その時どう対処をお願いするか、だ。
今日は母の命日だ。感慨深く斉藤氏のブログを拝見した次第である。

2006年10月16日 (月)

最後の晩餐

明日10月17日はおふくろの命日だ。

他界したのは97年。もう9年も前のことか。
本当に好きだった。おふくろ。
いつも何かにつけて心配してくれ、ろくな親孝行もせずに
逝ってしまったおふくろ。

病気で亡くなったのだが、ちょっと難病で、簡単に言うと
骨髄腫という病名のもの。
骨髄って身体にとってかなめで、ここでは血をつくったり、清浄化させたり
してくれる。で、ここが病に侵されると、きれいな血が作れないわけで、
よっていろいろな病気を併発してしまう。

母の場合、まず風邪が治らなかった。
96年の末からこじらせたようで、ずっと鼻をぐずぐずいわせていたし
微熱も続いていたようだ。
私にはおくびにもださなかったのだが、父は気付いていて、
とにかく医者に行けということで近所の町医者へ通うのだが、
骨髄腫だなんて、わからない。
ただただ抗生物質のちょっと強めの薬を飲むだけの、
的外れな治療を続けていた。それが2ヶ月続いた。

私が母のことで一番悔やまれるのが、まだ入院前、在宅していて、
微熱は続いていたが、家事は普通にできていた時のこと。
忘れもしない、97年3月。
その日は翌日に会社のゴルフコンペがあり、社から自宅へ
早く帰る旨、電話した。母が出た。

「明日、ゴルフで早起きだから、早めに帰るよ。
 ご飯ある? ないんだったら、外で食べて帰るけど」

「あるわよ。 あるから。 早く帰っておいで」

わかった、と言って、早め(といっても9時くらいだと思うが)に
帰宅。
ところが、お腹を空かして茶の間につくと、ろくなおかずがなかった。
味噌汁と、昨日かいつのだか分らない、適当なものだけ。
ひじきかおしんこか佃煮か。

「おかずないんだったら、ないって言ってよ。
 あるっていうから帰ったのに。
 あ~、外で食べてくればよかった」

私、そんな失礼なこと、母に言ってしまった。
その夜が母と家で食する最後の晩餐となることも知らず。

翌土曜のコンペ。母の容態が気になっていた私は、
昼食時にゴルフ場から自宅へ電話を入れた。父が出た。
「今、医大に行ってきたんだけど、そのまま入院した」
ということだった。
ものすごいショックを覚えた。
そのまま入院?母が?なんで、、、やっぱり単なる、単なる風邪じゃあなかったのか?

健常な母は普段から風邪一つひいたことがなく、
やはりここ2~3ヶ月治らないのは不審だったので、
近所の町医者ではなく、大学病院へ行き、そしてそのまま入院したという。

かなり戸惑った。午後のハーフは回らずに帰ろうか。。。
でも結局は午後もラウンドして帰ることになってしまったが。

翌日曜、母の入院先へ行った。
普段家にいる時には見れないようなかなりやつれた母の顔色に
私は驚きを隠せなかった。

結局、そのまま病院での入院生活が続くことになってしまった。
数ヵ月後に広尾の日赤に転院するも、家に帰ることはできずじまいだった。
入院生活が7ヶ月続いた10月、母は他界した。

母と食事した最後がああだったことが、何より一番悔やまれています。
ゆるしてください。母上。

2006年10月13日 (金)

メルセデスの余韻

メルセデスだが昨夜のあのハンドリングの余韻がよく、
まだ酔いに浸っている(笑)。
170を超えた時のあの路面に吸い付くような、
まるで上から何物かに押さえ付けられてでもいるかのような
乗り味とそして安定感。

先の投稿で書けなかったが、フロントのシムによる車高上げに
ついてのハンドリング変化について。
今回厚手の硬質のゴムを左右に貼ったわけだがそれにより
フロントの車高が指0.5本ずつ上がった。
交換当初は左右指1.5~2本くらいずつになったのだ。
ところがその時は高速走行でフロントが落ち着かず、
ハンドリングもフワフワしたクラウン状態だった、と書いた。

しかし昨夜の走行ではそのフワフワ感の一切が払拭されていた。
気になる車高だが、フロントは1.5本になっている。
つまり、指0.5本の車高の違いで(もちろんゴムが鉄などに比べて
軟質だということはあるが)、あれだけハンドリングの差異が出る、
ということ。
とても小さいことなのだが、シャーシがあまりにしっかりしているが故、
そのような甘んじたセッティングを容赦しないようなものに
なっているのだろう。
軽微な変更にもかかわらずハンドリングに大きな違いが
出ること、妥協を許さないメルセデスの業界フラッグシップ性を
垣間見た気がする。

優れたハンドリングの余韻に浸っているのもいいが、
今朝車での出勤時のこと。
近所まで来て細い道から出合いがしらにスクーターが飛び出してきて
危うくぶつかりそうになった。寸でのところ(数十センチ!)で免れたが。
私も急ブレーキだったが、先方も急ブレーキ。
優先道路としては私の道の方が全然太いし、向うは細い私道(入口に
「通行遠慮して下さい」と書いてある)
から出てきている。停止確認義務も怠っているから
先方は二重で公序に反している。

急ブレーキで止まってあげたのに向うは謝る気配もみせない。
じっと私を見ている。
しょうがない、車から降りた。

「危ないじゃないか。
 なぜ確認しない」

ちなみに今日の私はやはりメルセデス。朝の日がまぶしかったので
レイバンのサングラスをしていた。
降りていきなり詰め寄って行ったので、
向うはびっくりしたようだ。

「だまってちゃあ、わからない。
 普通、謝るだろう」

「すいません」

「あんた、いくつだ」

「35です」

「そうか、若いじゃあないか、
 だったらこれからはちゃんと、しっかりしないと
 だめだぞ」

と言って車に乗り込み、走らせようとしたところ、
そいつ何故だろう安堵感からだろうか私にメンチを切ってきた。
明らかに私の叱咤を不服とした表情だ。っていうか、ケンカ売ってる目だった。
しょうがない、もう一度車を降りた。
今度はエンジンを切って、キーも持って出た。

「おい。おまえ。
 わかってないようだな。なんだその目は」

スクーターに跨ったままのそいつの上から見下ろすように
近づいて、キーを持った拳を眼前につき立てると
また「すいません」と言ってきた。

「だめだ。謝るだけじゃあ。
 おまえ、反省してないだろう。
 口で謝るだけなんて、簡単なんだ。
 ちゃんと反省しろ」

おまけと言っちゃなんだが、「その目、お前、ケンカ売ってる
としか見えない、やるんならやろう」と付け加えた。

するとすいません、しませんと言う。
しかしまずかった。そこは勤務地(私の実家)近くだったため、
旧知のオヤジ二人が前から歩いてきた。

「おはよう!」

私もおはようございますととりあえず返した。
オヤジ二人は怪訝そうに我々を見ながら去っていく。

しょうがない、こいつに言い聞かせても無駄だ
叱るだけ損と思って、いい、もう、行きなさいと
顎でしゃくってやった。
ブイーンと去っていった彼の背中には
開放されてはあ~よかった、と書いてあった。

今思うとヘルメット越しにでも一発正拳突きをしといてやりゃあ
よかったと思う。

しかし懸念するのは奴、トシ35と言っていた。
子供の一人や二人いてもおかしくないだろう。
こういう奴は子供に対しどういう教育をするのだろうかということだ。
子供を連れて歩いてゴミをそこらにポイポイ捨てるどうしようも
ない親もいる。子は親を見て育つのだ。
こういうどうしようもないヤツがどうしようもない子を育てるのだろうな。
今回のは事故につながらなくてよかった。しかも当方が車だったからなおさらだ。
歩行者だったら大怪我だったろうし。

悪いことしたら謝るそして反省の気持ちを持たないとだめだ。
彼の目にはその微塵も感じ取ることができなかった。
私もどんな些細な過失から事故を起こすとも限らない。
しかし起こした時はその過ちを素直に認め、反省することだ。
そんなこともできないようじゃあ人として失格だ。動物と一緒だな。

コニーインプレ(小説)

コニー、すばらしい乗り味だった。
昨夜、社長を田舎である茨城へ送っていった。
夜だったので東関道はガラガラ。
往路は160アベで走った。
懸念してたフロントのフワフワ感が解消されていた。
やはりフロントに貼った厚手の硬質ゴムのシムが
落ち着いたのだろう。
ビターッと地に貼りつくように走ってくれる。
不安感、微塵もなし。

社長を茨城に置いて、帰路はたかぴー一人。
東関道は行きにも増して更にガラガラ。前後数キロに渡って
誰もいない。
そうだな、この車の最高速にチャレンジしてみよう。
いい機会だ、そう思った。
トップ(5速)だと3千回転で120、
4千回転で170出る。

以前ザックスパフォーマンスセットの時はこの回転域がとても
気持ちが良かった。今回、コニーでもやはり同じになった。
とてもすばらしい乗り味を感じ取ることができたのだが、で
5千回転まで回せば、理論上はオーバー200の世界に入ることになる。
ちなみにレッドは6千。
しかし、だ。トップの5速では非力なパワーのためか、
5千まで回ってくれない。
だからマニュアルで4速に落とし、6千まで引っ張る。
が、これでもなかなか6千まで行ってくれない。
何回4⇔5を往復させただろうか、いちおう
210キロまでは出したが、えらい時間がかかった。
回転数は5700回転だった。何速かは分らん。
この車の最高速はメチャ遅いということを改めて痛感した。
そんなことしてたらもう四街道まで来てしまったが
誰もいない遥か前方に覆面を発見した。ご苦労様です。
捕まってる横を160で通過(汗゛。

しかし考えるとこんな誰もいない道、制限速度で走れっていうのは無理。
200出すより都内一般道の方がぜんぜん危険である。
都内より首都高速から東関道、一般道を含めて往復約260キロを
堪能して走った。いやあ楽しかった。
帰宅は夜11時だったが、帰ってからのビールが美味かった。

そうそう、もう一つ確認したこと。
先般の高速走行で140でハンドルがえらくブレたのだが、
それも解決した。
たぶんタイヤに挟まっていた石が飛んだのだろう。
往路では150でブレたが、
帰路は飛ばしに飛ばしたためか、何キロでもブレなくなった。

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写真は帰宅し、風呂上りにイッパイの後の次男の寝姿。
昼は公園で遊んだということで疲れて口を空けて寝ている。
かわいいったらありゃしない。

2006年10月12日 (木)

KONI高速走行楽しみ

愛車、メルセデスW202C240T。
この車を長時間運転すると、不思議とひいていた
風邪が治る。過去何度かあった。
冬場などシートヒーターを入れて室温を26度、
風量2くらいにすると、ぬくぬくととても気持ちよく、
家に帰るのもいやになってしまうほどだ。
今日はこれから茨城に行く。往復300キロ。社長の明日の同窓会の為の
運転手だ。
さて、ひいている風邪、治るかどうか。

とはいえ楽しみなのが替えたアブソーバーKONIの
初の長時間高速走行が味わえること。
何度か短時間だけだが、160までは出したが
少々ハンドリング感に不安を覚えた。
それがアライメントに起因するものか(フロントの車高を上げた為)
はたまたアブソーバー換装に因るものか、
今日はっきり感じ取ってみたい。

フロントトー角を12度にし、KONIの3段階の減衰力調整を中から
強にしてしまえば問題は一発で解決するだろう。しかしそれでは
後部席に乗る家族に悪いとも思う。
でもKONIの利点「減衰力の『縮み側』は制御しない」
に則って鑑みると強にしても乗り心地に悪い影響を
与えるとも思えない。あくまでも硬くなるのは「伸び側」なのだから。
いやあ「足」はほんとにいじりだすと止まらない。
しかもこうした「悩み」が楽しくてしょうがないのもまた
ビョーキ(妻)と言われそうだな。

写真は昨夏のですね。那須かな。

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2006年10月11日 (水)

いじめられた記憶

しゃくりあげるほど泣く、ということ、ここんとこない。
直近だといつだろうか、母が他界した時だろうか
だとすると97年のことだ。
いやいや、悲しいは悲しかったが、しゃくりあげるほどでは
なかったろう。
とするともっと前のことだ、記憶をずっとたどらないと。
小さい頃、小学校低学年の時だ、よくいじめられたじぶん。
ほぼ毎日、学校でしゃくり上げて泣いていた。

私は茶髪で眼球も少し茶が入っているためか、
小学1、2年のその頃は外人のようだった。
今なら「かわいい」の一言で済むのだろうが
昭和40年はじめの当時でそんなこと言ってくれる人は
いなかった。みんな「ガイジン!ガイジン!」
と言ってばかにし、いじめるのだった。

通ったのは公立だが、違う学区域からの越境だったせいもあり、
入学したばかりの時は頼れる友達もいず、
いじめられ通しで泣かない日は無かったと言っても過言ではない。
それくらい私はナイーブでデリケートで小心で純真だった。のだが、
反し、負けず嫌いで向う見ずな性格が、
罵詈罵倒され甘んじているだけのことをゆるさず、
ばかにされるとすぐに向かって行って
結果、皆にボコボコとケトばされてしまうという悲しい日々が
続いていたのであった。

その頃の反動だろうかトラウマなのだろうか、だから
おかしい、理に適わないことを言う人がいると、
私の正義心がそれらを許すことができない。

「ぜったい、みかえしてやる、
 いつか、いじめ返してやる!」

小さい頃そう誓ってでもいたのだろうかしかし
臥薪嘗胆のその思いも日々追うごとに
互いに気を許し仲が良くなり遊び合う友になると、
いつしか無効のものになってしまっていた。

従兄弟に弁護士がいる。
2つ上だが幼少の頃から仲が良く、とにかくよく一緒に遊んでいた。
夏休みや冬休みだとお互いの家に泊まりに行き、
飽きもせず1~2週間の間昼夜を問わずずっと一緒にいた。

彼の住んでいたところは同じ都内ではあるが私の家とはだいぶ離れていた。
学校はグレている面々がだいぶ多かったようだ。
校内では彼もいじめにあっていたのだろうか。
ある夏休みのこと、不良たちに襲われた時があった。
私が小学高学年、彼が中学の頃だと思う、
彼の家に私は泊まりに行っていて、ゲーセンに
一緒に繰出した時だった。
なんだかワルそうなのがいっぱいいて、少し不安だった。
案の定、そのうちの一人に従兄弟が胸ぐらを掴まれた。

「おい、この!
 たかぴー!
 なんでオメーがここに来てんだ!」

かなりの大声でそう叫ばれた。
いかにも、ここはお前の来る場所じゃあない、
目障りだ来るな帰れ!
と言っているものだった。
しかし従兄弟は全く怯むことがなかった。静かに応えた。

「ここに、なんで来ちゃあいけねえんだよ」

相手等に囲まれたが何度かの問答の後、従兄弟は解放された。

「だいじょうぶ? 
 帰ろうよ」

私は怖くてそう言ったが従兄弟は

「なんで帰らなくちゃいけない?
 ここで遊ぼう」

と、その場に留まろうと主張した。
彼からは表情や挙動、しぐさの一つ一つをとっても、
動揺しているそぶりが微塵も感じられなかった。

「いじめ慣れしているのだろうか。
 それとも、
 よほど、でかい人なのだろうか」

それとも両方だろうか。。。
よくよく遊んでいたとはいえ、互いの学校内でのことや
成績のことまでは分らない。だから私も小さいながら

「この人は大きくなったらきっと偉くなるんだろうな」

と、その従兄弟の横顔をじっと見ながら思っていたのだった。

大学を卒業し何度かの受験の後、見事に従兄弟は
難関の司法試験にパスすることができた。
苦労も多かったろう、その時の思いに幼少期
いじめられ続けた臥薪嘗胆の思いというものも
見え隠れしていたのだろうか。そんなことはないかな。
あの時あのゲーセンでの思い出のこと
こんど会った時に聞いてみることにしよう。

とはいえこの従兄弟、メッチャ面白く、一緒に遊んでいても楽しかったし
懐がでかいというか、奇想天外なことをしたりする。

彼の友人から聞いた話だ。
学生時代、友人らと温泉旅行に行った時のことだったらしい。
湯につかった後、悪友たちは

「おい、たかぴーの服、もって帰っちゃおうぜ!」

と脱衣場から従兄弟の浴衣、下着類の一切を
先に部屋に持って帰ってしまった。
湯から部屋までは遠い。

「あいつ、どーしてるだろうな!」

「パンツすらないんだから、
 さぞかし困ってるだろうな!」

友人らはウッシッシと部屋でそう盛り上がっていたところ、従兄弟が
バーン!と扉を開け、威勢よく帰ってきたそうだ。
フルチンで前も隠さず!
そして一言

「いい湯だった!」。

皆が驚いたのはフルチンで帰って来たことはもとより、
服の一切を持ち去られたことについて
何も問わなかったことだそうだ。

「服? 
 そうそう、無かった。だから裸で帰ってきたのさ」。

おもしろい話はいろいろ聞いた。が、残念なことに
シモネタが多い。

司法試験に受かった後の長い泊り込み研修の時のある夜、
打ち上げの宴会があったそうだ。
もちろん酒も振舞われる。缶詰だったし久々の酒だ
美味くないはずがない、が真面目な面々しかいない
しかも皆浮世離れしている。どこか冷めた宴会になってしまうのは
否めない。とはいえ酔いも回りに回った頃、
舞台にさっそうと現れる人物が一人。
全裸だ。
従兄弟だった。
しかし全裸とはいえ、下半身の息子のその場所にだけ、
なぜかアヒルのぬいぐるみがささっていたとのことだった。
宴会は爆笑の渦と化したそうだ。
本人はあまり覚えていないというが、その実、どうなのだろうか。。。
人一倍責任感の強い従兄弟。盛り上げようという気の責任感も
人一倍だったのだな。

でもこんなこと書いちゃって、よかったのでしょうか。
私のこと訴えないでくださいね(笑)。

2006年10月10日 (火)

ナンバーを掃除

日月の連休はとても天気が良かった。
洗車は趣味の一つだが、メルセデスの方のナンバープレートが
汚れているのがずっと気になっていた。
98年の納車以来6年間はワックスがけを続け、
04年になってはじめて、コーティングを施したこの車。
しかしナンバープレートについてはコーティングはするものの、
細部の汚れ落としまでは気(手?)が回らず、ずっと
「いつかは・・・」
と思っていたのだ。

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ナンバープレートはご存知の通り、漢字とひらがな、数字が
標記されている。
掃除したいのは、それら字たちの「縁」の部分だ。
(緑じゃないですよフチです)

以前ワックスがけを多用していた時のくすんだ汚れがこびりついていて、
さらにその上にコーティングをしちゃったもんだから、
ちょっとやそっとじゃ落ちやしない。
でコンパウンド(極細目)と菜箸(先端をナイフで鋭利化)で
マメに落としていくことにした。

朝6時半起床(笑)。
20~30分で終えよう、と、陽だまりの中、作業に入ったが
風はすずしく気温も20度にいかず低い、しかし
背中に東南の日がポカポカと当たってくれ
とても気持ちがいいので結局1時間くらいかけてしまった。

_002

洗車好きを、程度の問題で、あるラインを引くのであればそれは
このナンバープレートがきれいかどうかは一つの分岐点。
きれいな車はだれでも気持ちのいいものだろうが、
GSなど人手だけに任しておいたのでは、実はこのナンバープレート
誰もきれいにしてくれない。
せいぜい着いた水滴を拭き取るくらいのもの、だから文字の縁は
ほとんどの車が汚いし、酷いと止めてあるボルトが錆びて白いナンバーに
雨ダレの茶色いラインを作ってしまっていたりする。
反しきれいだとよほどの洗車好きなんだなと
首を縦に振って感心する。

_005 

別にこれがきれいでもどうということはないし、
誰が気付いてくれるわけでもないだろう。
またこれだけきれいだと素直に
「中古だな」
(ナンバーを替えたのだろう)
と思われて終わりかもしれない。だとすると少し寂しい。
しかし私は、磨きます(笑)。

テーブルが汚れてるって?余計なお世話です。

2006年10月 6日 (金)

サイコーにかわいい1007

無事1007のコーティングを終えることができた。場所のご提供本当に

どうもありがとうございました>MM様。

また二日間、作業お手伝いも含め、いろいろありがとうございました>TN様。

今日は朝から大雨。台風のようで、大雨注意報他、いろんな警報が出てる。

しかし屋根付きシャッター付き駐車場というのはいいものだ。五木寛之

に「雨の日に車を磨いて」なんて短編があるけどそれを地でいけるんだもんな。

次家建てる時は絶対こういうのにしよう。っていつ?

これは拭き取り前の写真。

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2ドアだが、左右ともスライドだ。ヒンジを後方にガチンと引っ張ると、

電動でんが~っと開いてくれる。締めるのは逆。

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AWではなくWC。だからBTもDM。分るかな?意味。

写真の意は、ホイールハウス内側。見難いんだけど、ちゃんとカーペットが

敷かれている。雨の日なんかこれあるか無いかで室内の騒音が全然違う

んですよね。アウディはA4でも4~5年前のモデルで既に付いてました。

私のはコルトはおろかメルセデスにも付いてません。

あ、もちろんWCにもCTGしてます(笑)。

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とてもきれいなライトですね。ここにもコーティングしてます。

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ドア内側とかも。これも拭き取り前ですけど。

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メーターパネルにピントが合っちゃいましたが、撮りたかったのはパドルシフト

なんです。右がプラス(シフトアップ)、左がマイナス(シフトダウン)。

きちんと質感をもっています。形状はライクフェラーリですね。

_007_1

コーティング剤拭き取り後です。妖艶ですね。すばらしい赤です。

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樹脂部など黒は黒できっちり映えるコーティング剤を別に使っています。

膜圧がすごいんで塗り斑を心配していますが、2~3年は「真っ黒」でいられると思います。

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PEUGEOTってなかなかスペル分りづらいんですよね。

文字一つ一つもコーティングしてます。ライオンさんももちろん。

_010_1

ガラス面は以前ここでも紹介したガラコdeクリーナーを使用している。

いろいろ試したがこれが一番いい。撥水効果は強すぎるとワイパーゴムを

痛める。どんな強い撥水剤やっても低速だと結局ワイパー動かしちゃうので

ゴムの寿命を縮めることになってしまうからだ。これ以上のものがあったら

逆に紹介して欲しい。あ、ボディーもそうだけど、拭き取りはタオル、

使わないでくださいね。プラセームをお奨めします。

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拭き上げ途中で撮ったが、スポンジを食べたライオン。

洗車中のスポンジがライオンの口に入ってしまって取れなかった。

舌の下がちょっと黄色っぽいでしょう。ま、ジョークということで。。。

2006年10月 5日 (木)

コーティング プジョー1007

Kicx4138_2 Kicx4139

この車はサイコーにかわいい。

色はアデンレッド。ネットで見るとオレンジっぽかった。実際はソリ赤だが

しかし強い光を当てると、やはりオレンジ色が出る。

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今日は脱鉄粉、磨き上げ、コーティング剤塗布で終わり。

明日拭き上げです。

2006年10月 3日 (火)

アンテナとTBSとカメダ

ウチのテレビだが10チャン以外ほとんど映らなかったのでアンテナを
修理したら、よくなった、と以前書いた。
だいぶ改善はされたが、今でも酷い。
顕著に悪いのは4、6、8チャンで、特に6が酷い。
ゴーストだらけ。マジシャンなんかがトランプ2~3枚並べると
ズラズラズラ~っと7~8枚並べられたように映ってしまう。
直してもらったのかホントにってカンジだ。
だからクレームをつけた。
すると

「ですがあ、直したときぃ、
 6のゴーストはしょうがないって、言いましたよねぇ」

と言い返された。
だけどこの映り、あまりに酷いではないか。
どっかでケーブルが抜けたのではないか。
これは修理直後より明らかに悪くなってるだろう。
それと、アンテナの高さが、昔ついてたものよりだいぶ低くなっているのだ。
それももちろん聞いた。

「でもぉ~
 高さはぁ~、
 あんましぃ~
 (映りは)変わんないですよ」

そんなことはない、ちょっとでも高いほうがいいだろう。
だからみんな苦労して高いところに立ててるのだ。
違う切り口で聞いてみた。

「以前のアンテナより、機能的にだいぶ劣ってるのを
 付けたなんてこと、ないですか?」

「う~ん・・・。
 あ。
 そーそー。そーいえば、
 前のはゴースト対策機能が付いてたです。
 そうそう、付いてた付いてた」

「え?
 で、今付けてもらってるのは、
 ゴースト対策機能、無いんですか?
 どうして外しちゃったんですか。
 そりゃあおかしいじゃあないですか」

アンテナ屋さん、無言になってしまった。
こっちはシロートだ。
機能が分らないもの、勝手に外してもらっちゃあ困る。
んで映りが悪いのをその地域特有のせいにされちゃあ
またさらに困りまさあな。

で、ゴースト付きに付け替えてさらに高さをもっともっと高く
してもらうようにお願いいたしました。
これでTBSの映りもよくなるだろう。

TBSといえば亀田興キだが10月の防衛戦が延期になったようだ
今朝のスポーツ紙に出ていた。
前戦もだがなんだかすごい騒ぎだったが後々TBSのワナだと知って
なんだか見る気も失せていた。

ただの試合だったらいいが、チャンピオン戦ともなると
勝者は「国の顔」になってしまう。
行動言動だけでなく、物理的な「顔」も実質的に
日本国を象徴するものになるのだな。
私は亀田が日本の顔になってしまうのは少々恥ずかしい。
というよりやめて欲しい。
ただでさえバカにされている日本、これ以上バカにされるような
形振りはしないで欲しいと思うのだ。
さらになんだあの前戦は、思いっきり負けていた試合じゃあないか
ランダエタのホームディシジョンであったら間違いなく負けていた。
せっかく延期になったんだから次回は第三国でやってみて欲しい
と思うのは私だけではないんじゃないかな。

話は違うが先日のK1は面白かった。ラスト(メインイベントだな)の
ホンマン、ジェロムレバンナ戦だ。
強さではホンマンだったが、テクニックでレバンナが上をいっていた。
勝者もレバンナだった。
戦前のインタビューではホンマンを
「あの水槽野郎!」
と称し
K1のレベルの高さを思い知らせてやると言っていたが
実際は3Rドローで延長の4R目で判定で辛くも勝てたと
いったところ。
思うにレバンナは強すぎる。退かないのだ。
だからディフェンスも甘め。したとしてもそのディフェンスが強すぎるから
結果、身体のどこかが故障してしまうという事象が出る。
アーネストホースト戦の時(3~4年前)、
ホーストのハイキックをガードした左腕がへし折れるという
こともあった。また、レバンナの鼻が曲がっているのも
折れた骨のせいだろう、退くことを知らないからだ。

しかしこのホンマン戦ではだいぶ大人になっていた。
角が取れまるくなっていることが表情の一つとっても分ったし、
ラウンド直後、抱き合う二人には相手を讃え合う熱いものが
見て取れた。レバンナの首を絞めておちゃらけるホンマン
にも、スポーツマンシップの清涼性を感じさせた。

戦うことは、相手が憎いからではない。「勝つため」なのだから。
対しなんだあのカメダは。冗談じゃあない。
ボクシングは、ショー的要素の強いK1と比べてもらっちゃあ
困るだろうが、重複するがあんな判定出してるようでは
行く末が見えてくる。相手をののしってばかりのカメダもハナシにならない。

2006年10月 1日 (日)

長男の運動会

昨日は長男の幼稚園の運動会だった。
心配だった天候にも恵まれ、楽しい一日をすごせた。

行われた場所は通園先の幼稚園ではなく、母体校でだった。
広いグラウンドがあるからだろう、だから場所は遠くて
家からは電車を乗り継ぎ、1時間近くかけて行くことになった。

一歳の次男は義母に面倒をみてもらうことで家に残し、
妻と長男と私で朝7時過ぎに家を出た。
休日のその時間なので電車の本数も少ないからか
多くの親御さんたちがご子息である園児を連れて駅のホームにいた。
しかしお父さんがいないうちが多い。
聞くと

「先に場所取りにいってるのよ」

という。車で先に行っているのだ。
まったく大したものだ。

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我々はゆっくりと行ったが、それでも8時過ぎには現地に着いた。
しかし驚いたことに既に多くの、ざっと見て100人以上の親御さんたちが
既に列を成し開門を待っている。
持ってきたイスや、シートを広げるなどして、おにぎりを食べたり
本を読んだりして寛いで待っている人が多かった。
すごいな。親ばかがいかに多いかということが
これだけをもってしても分る。

開門は8時15分だった。
トラブルを避けるためだろう、10組くらいずつに分けて
中に入れるようにしていた。
我々は番が来ると同時に、私と妻で二手に別れ、走った。
妻は本部席テント近く、私はグラウンド側面の一番前を
目がけて走った。

久しぶりに全力で走った。もうすでに運動会は始まっていたかのようだ。
両手に荷物だったしさぞかしかっこ悪い全開走行の姿だったろう
足もこんがらがりそうだった。
しかし今思うとその間、長男をどうしていたのかが、記憶に無い。
たぶんほったらかしにしていたのだろうが、彼にしてみたら
悲しいハナシだ。いきなり両親が全力で突っ走って消えていって
しまったのだから。

だがおかげで私はグラウンド最前部に場所を確保することができた。
即座にシートを広げ、その土地の所有権を主張した。

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妻はと見ると、狙うと言っていた本部テント横で誰かとくっちゃべっている。
遠いが視力2.0の私にはよく見える。
しょうがない、場所もここはここで抑えたから
妻の所に行ってみよう。

期待はしていなかったが、それでも見ると少々幻滅した。
本部テント横なので場所は一等地だが、狭すぎるのだ。
たぶん親子3人のお尻を乗せたらそれで終わりくらいの猫額だ。
もちろんシートは広げられず、3分の一くらいに畳んだ状態で
敷かれている。

「どう!
 いい場所でしょ!」

妻は自慢げに言うが、これじゃあ、ろくに弁当も広げられない。
なんか表参道とか青山あたりに4~5坪の土地をゲットして
どうやってウチ建てようかと悩んでいるようなカンジだ。

「撤収して、たかぴーの方に来なさい」

同じく猫額の隣地土地所有者に妻の取った所を譲ってあげ
(すんごい喜ばれた)、撤収してたかぴーの方へ移動した。

なんとも運動会というのは大変なものである。
開門前、最前列に並んでいた方々はいったい何時から来ていた
だろうか、ひょっとして吉牛なみの徹夜騒ぎで来ていたのかもしんないな。

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前置きは長いがそんなこんなで運動会はスタートした。
年中組みの長男は午前中2種目、午後2種目に出た。
かけっこは意外に速く、2位くらいでゴールできていた。

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しかし他の種目はオペレッタのようなものだったり
玉入れだったりで、まだ若すぎる彼は身体を持て余して
いた。もっと多くの種目を用意して身体を酷使させてあげたほうが
いいんじゃないかな。小中校のゆとり教育の波及がここにも来ているのか。

ともあれ運動会は無事に終わった。何もしていないのに私や妻は
疲れてぐったり。
来年はもっとゆっくり行くことにしよう、9時前に着けば充分だ。
そして最前列に席を設ける必要はない。
見たい競技の時だけ前面が見えるところに移動すればいいのだから。
そして後の方に大きめのシートを広げ、次男や義母も
一緒にこれるようにしよう。
そしたらもっと楽しかったな。

 

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